Little AngelPretty devil 〜ルイヒル年の差パラレル・番外編

    ほたる籠 B
 



          




 見慣れた風景は陽炎に炙られ揺れてて、昼の間はまだまだべったりと残暑が肌に張りつくような気候だが。宵を迎えると多少は涼しい風も立ち、道端や路地、縁の下などのそこここから、涼むに心地いい、虫の声が聞こえて来たりする。あの子の行方、何か判らないか、誰か知らないかと奔走し、今日もまた収穫のないまま力なく戻って来た我が家の近所。憔悴し切って、もはや気力だけで頑張ってるようなもの。汗と埃とにまみれた着物の袖で、額やこめかみを伝う汗を時々ごしごし拭いながら、似たような貧乏長屋の居並ぶ路地の一角まで差しかかれば。
「あんた、あれ…。」
 まだ十分に真夏のそれ、力強い陽射しがくっきりと刳り貫くは、真昼の闇。幅狭に墨を流した帯のように、色濃く佇む軒端の陰の黒に紛れるようにして。ここいらでは見かけぬ子供が一人、じぃっとこちらを見やっているのに、やつれた妻がまずはと気がついて。
「?」
 ウチの子よりも少しほど年嵩だろか。華美ではないが品のある衣紋を着付けた、ちんまり小柄なお子さんで。何か言いたげなお顔でこちらを見ているのが妙に気になる。
「どうしたの?」
 自分たちなぞがお声を交わすのは、身分違いなお方かとも思われたけれど。迷子にでもなっておられるならば、きっと親御が心配なさってもおいでだろうからと。二人揃ってそちらを向いて、おずおずと声をかけてみた…その隙を見澄まして。

  ――― 彼らの背後の少し遠く。路地から突き出し、かざされた白い手があり。

 平らかに伸べられた手のひらの上には、小さな人の形に切り抜かれた白い紙きれが二枚ほど。ふっと軽く吹き付けられし息に煽られて、ふわりふわりと宙を舞い、夫婦の丸まった背中へとそれぞれに張りついて………。




 町屋の家並みからは少し外れた、柳やさざんかなんぞの木立ちの向こう。昼の間に駆け回るその範囲から、そういえば…何とはなく避けてた辺りへ、なのに今は足が勝手に進んでいたりし。

  「…あ、あんた、そっちにはあの池があるよ?」
  「わ、わかってるっ。」

 力づくというような強引な働きかけではないのだが、なのに何故だか振り払って逆らい切れない。そんな感覚に体が操られている。夢の中の情景みたいに、辺りも妙にしんとしていて、これから勤めのご近所さんにも、馴染みの物売りにも出くわさず。ただただ真っ直ぐ、涼しげな木陰がまばらに続く小道へと夫婦二人で歩き続けてる。
「あの子はそんなトコには行かないよう。いつだってあたしが口を酸っぱくして言い聞かせてるんだ。」
「ああ、そうさ。危ないからって、おいらだってそれだけはキツク言ってたサ。けど…けどな?」
 これまで、どうして避けていたのだろうかと。今初めて自分でも思う。一番思い当たらねばならない場所。この時期に子供の遊び場としてつい足が向くだろう、そして危ない場所でもあろう“心当たり”の筆頭だろに、どうして自分たちは…そこを探そうとはしなかった? 目を背けることが出来ない何かに、向かい合うのを恐れてた? 木陰と日なたとが、視野の中、白く乾いた小道の地面や、手入れになんて縁のなさげな雑草の茂みを、ただただだんだらに塗り潰していたものが、

  ――― ザッ、と、突然開けて青く。

 碧と青の水辺が広がったのへは、さすがにハッと息を飲んだ二人だったが。浅い水表(みなも)へ、梢の間から降り落ちる木洩れ陽の、金色の斜光についつい見とれて。
「………。」
「………。」
 声もなく、二人、立ち尽くす。川風になびいてざわめく草むら、日暮れを偲ばせるヒグラシの声。そんなこんなが聞こえて来たのに、ああ なんて静かなところだろうかと、逸っていた気持ちがすぅっと落ち着く。草いきれと水の匂いの緑の空間。誰もいないのに、柔らかい生気に満ちていて。夢心地になってぼんやりと、そんな空気の中に浸っておれば、

  ――― かあちゃ。とおちゃ。

 空耳のような、小さな小さな声が、して。ああ、ずっとずっと聞きたかった声だ。何の兆しもなくの不意に、遠くへ引きはがされてしまった、愛しいあの子の声ではなかったか? きょろきょろと見回せば、ああ、やっと。大切なあの子が、そこには居たよ。水の上、幾つもの水紋の輪を描いて、軽やかに駆けて来た小さな我が子。こちらの腰までもない小さな体が間際まで来ると、いつもそうだったように小さな手でしがみつき、二人の着物、きゅうと掴んで。

  ――― お家に帰れなくなってゴメンね。

 愛らしいお声がそんな風に囁いたその途端。母親が頽れるようにその場に膝をつき、顔をおおって咳き込むように、おおうおうと咽
むせび泣き始めた。優しい子供、愛しい子供。愛し愛されていた、大切な家族、暖かな家庭。すくすくと育つ愛らしい様を見られるというだけで、どんな苦しい生活であれ、実り大き充実した毎日になった。可愛らしい声を立てて笑ったよ、今日は這い這いするようになったよ。凄いね、もう立って歩くようになったよ。聞いたかい? 今この子、とおちゃんって呼んだだろ? 毎日が胸を焦がすほどのも温かい幸いに満ちていたのにね。

  「………坊、坊、ごめんよ。」

 怖かったろうね、目を離してしまってごめんね。みんなと一緒に水場に行きたがったの、叱ってばかりいたね。ついてってやれば良かったのだね。それから、父ちゃんか母ちゃんが一緒の時しかダメって、約束をすれば良かったんだね。そんなしたから、言えなくなって。叱られるからって、言えなくなって。それで、そんな怖い思いをさせたんだよね。
「一番辛かったのは坊やなのにね。」
 なのに母ちゃん、自分が寂しくなるのが嫌だった。絶対帰って来るって思ったのって、坊やには無理なお願いだったのだのにね。
「………すまんな、坊よ。」
 父ちゃんが泣くの、困るからって。お空にいけないまま、迷子になってしまったのだな。母ちゃんや父ちゃんを思いやる、それはそれはやさしい子。まだあまりにも幼かったから、そして…余りある愛情に満たされて包まれて育ったがため。誰かを何かを、嫌ったり恨んだりを知らないまんまだった。両親が大好きだった、お陽様みたいだった愛らしい子供。怖い想いをしたのだろうに、こうやって、最後のお別れに来てくれた。なんて優しい子だろうかと、二人揃ってそこへと頽れ、二人揃って抱きしめる。


  ――― あのね? だぁい好きだよ。
       ああ、大好きだよ。
       いつまでも忘れないよ。
       ええ、いつまでも…。


 遠くなるヒグラシの声。瀬を渡り、頬を撫でる風の手触り。ああきっと、いつかは少しずつ薄れてしまうのだろう風景と記憶だろうけれど。あなたがいたこと、あなたを愛していたことを、わたしたちは絶対に忘れない………。








            ◇



 暦の上ではとうに秋でも、まだまだ残暑は厳しくて。陽のあるうちの外出は相変わらずに苦痛であり、噎せ返るような大気にうんざりする。
『それでもまあ、刺すほどの陽射しではなくなったかな。』
 何げに口にしたお館様へ、
『あまりに強烈な陽射しでは、それを浴びた端から溶けてしまうから嫌なのだろ?』
 蝋細工のようにその身が透くような端麗さだからという、肝心な部分をうっかりつけ忘れての、そんな命知らずな憎まれを言った罰として、
「ついさっきまで、広間に葉柱さんだけ入れないようにって結界張って、お籠もりなさってたんですよね。」
 今日のいで立ちは、いかにもな工人の作業着を思わせる、帆布にも似た丈夫な生地仕立て、陣兵衛さんか作務衣風の筒袖筒裾の何とも簡素な一式で。やや骨張ったお顔の隆起を陽光の陰影により際立たせ、庭の陽盛りにしっかと立っておいでのそれは精悍なお客様へ。愛くるしいお顔を“はにゃんvv”とほころばせ、説明した書生くんの小さな肩の向こうでは。その御簾を今はすべて引き揚げの、風の通りもいい広間の中ほど。頼もしい恰幅をした黒髪の男衆が…やっと入れてもらえたらしい板張りの間に平伏して、愛しい君の御前にて、もう言いません ごめんなさいと盛んに土下座をしている真っ最中であり、
「締め出されていた間も、お館様が中で暑さ負けして倒れてるんじゃなかろうかって、気が気じゃあなかった葉柱さんだったらしくって。」
 てぇ〜い、こやつはまったく、どこまでも…と。ツッコミどころ満載の言い分へ、でもでも、怒るに怒れずで。やっぱりそっぽを向いたまま、その実、大いに困ってらっさるお館様だったりもし、
「…相変わらずだな、あやつらは。」
 人知を越える存在の、邪妖相手の途轍もない修羅場における、そりゃあ鮮やかで切れのいい、獅子奮迅の働きが頼もしいかと思や、日頃のお顔はこれだから。何とも微笑ましい連中なことよと、眸を細めて見やるムサシさんであったそうで。そんな自分と一緒になって、微笑ましい大人たちの様子を眺めやる、小さな坊やのお顔の方も、そぉっと見下ろし…新たな苦笑。


  ――― 必死で消息をお探しの和子が亡くなっていること、
       自分たちが伝えたその途端に、
       生き甲斐を無くしてしまわれるお二人かも知れないと。


 自分の意志を強く押し立て、もしかしたらば初めてかも知れないほど、必死で蛭魔へ楯突いた坊やの。懐ろ深き思いやりと、真摯な想いが判らんではなかったので。ならばと取ったは やや変則的な手だて。急遽の思いつきとやらを、すみやかに遂行することとなった術師のお兄様たちだったのが、つい先日。
『早い話、本人たちの目や耳で受け止めさせればいい。』
 俺らなりの“ホント”に触れさせてやって、和子にも じかに逢わせてやりゃあいい。こんなもの、幻や白昼夢だとやっぱり信じなくとも、それはそれだ。後の判断はそれこそ当人たちへ任せりゃいい。それなら文句はあんめいよと、セナにまずは言い聞かせてから。まずは、周囲の雑音を静め、悪戯者らの気配を遠ざける結界の咒を唱えて誘い込み。それから、進や葉柱の神通力を少々。一時的なことながら、夫婦の感応力を上げてやり、ホントは彼らには見えないはずの、我が子の姿を見ることが出来るよう、声が聞こえるようにしてやったそうで。
「随分と甘くなったな、お師匠様よ。」
「放っとけよ。」
 問題を持ち込んでしまった張本人だっていうのにね。自分だけはそういった感応力が全くない身だったから、解決の段へ参加も出来ぬはしようがないこと。それでも気にはなったので、何をどう運ぶこととなったのか、顛末だけ大まかに聞くだけ聞いておこうと訪れたのらしいムサシさん。そんな彼が来たことを幸いに、場の空気を切り替えちまおうと思ったか。とっとと退け退けと侍従殿を追い立ての、入れ替えるようにこちらの彼を上がらせたは良かったが。まずは早速、らしくもなく丸くなったなと指摘されたその上へ、
「この世のものじゃあないものは、見えねぇ聞こえねぇ身だ、とんと判らねぇがな。この世のものの気配とかなら結構判る。」
 いやに勿体ぶった物言いを始めた昔馴染みへ、
「………で?」
 さして動揺も見せぬまま、話の先を促せば、にんまりと笑ってのこんな一言。

  「お前らの牽制ごっこは、見ていて なかなか楽しいな。」

 随分と省略されまくりの一言へ、
「何の話だか判らんのだが。」
 つんと澄ました したり顔にて、そのまま ついと真横を向いた陰陽師殿ではあったれど、
「この世のもののことなら判る、と、言ったろが。」
 愉快愉快とくつくつ笑いつつの、何とも手短なそのお言いようへ、
「………。////////
 あれあれ? 何故だか、頬やら耳やら日頃色白なお肌に血の気が昇って、見るからにそれと判るほど赤くなってるお館様だったりし。そこへと畳み掛けたのが、
「どうせなら“おやおやバレちまったか”なんて、余裕をもってそっちへ途惚けりゃ良かったものを。」
 昔のお前だったならいつだって、そりゃあしゃあしゃあとそんな素っ途惚け方をしておったろうによと。男臭くも渋い苦笑い方をするムサシさんだったりするのへと、
「………。」
 恨めしげな顔になっての上目遣い。妙に正直な防衛反射が働いたその結果、ついついムキになってしまったのと同等に、それは判りやすい誤魔化しをしてしまった自分であると、他でもない自分で既に気づいてしまってる、うら若き陰陽師殿。
「まだまだ修行が足らんぞ、お前。」
「〜〜〜〜〜。/////////
 顛末も知れたし、その上、思わぬ面白いものも見られて重畳と、重厚な肢体をもっさりと起こし、じゃあなと立ってそのまま、濡れ縁を降りてってこちらへ向けられた広い背中へと目がけ、
「…忘れもんだっ!」
 これは判りやすい…八つ当たりたっぷりな声にての恫喝と一緒に、ばふっとぶつけられたのが、大きな大きな風呂敷包み。以前に屋敷へと訪れた折、彼が着ていて脱いでった正装一式。持って帰れと全力で、確かに渡した陰陽師殿。それをまた、突き飛ばされることもないまま、自分の頭上へとうまく誘導して跳ね上げて。手前側の懐ろへ、上手に受け止める心憎さよ。愉快愉快と高らかに笑ったお声が、真夏よりも少しばかり高くなった青い空へと吸い込まれてゆく。風立ちぬ秋はもう、すぐそこに来ておいでかも………。






  〜Fine〜  06.08.24.〜8.27.

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  *実を言うと人が亡くなったことを中核に据えるお話は
   あんまり扱いたくはないのですが。(これだって“死にネタ”ですものね。)
   彼らの立場上、今回ついつい使ってしまいましたこと、
   こういうお話が苦手な方には本当に申し訳ありませんでした。
   セナくん蛭魔さん、双方それぞれの言い分や、
   このお話でとりあえず展開された手段だとかにしてみても、
   果たしてどれが正しいかなんて、一概に断言は出来ないことだと思いますし。

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